プノンペン市内観光
2007年4月18日作成
空港から市内への路は、ほこりっぽく、周辺の街並みは貧しい。建物は破棄されたままの姿で残っている。
タクシーはホテル出迎えの車が安全。
交通手段としては、バイクタクシーかクツクツタクシー(バイクの後ろにリヤカーもどきの座席を付けた)が目に付く。4輪のタクシーは有るのだろうか。
内戦によるポル・ポトの破壊は甚だしい。
今は公園になっている「Killing Field」は、入り口の門には「GENOCIDAL CENTER」とある。
併せて、市街にあるgenocide museum「TUOL SLENG」は学校の校舎を牢獄として使用し、拷問の限りを尽くした物証と写真・イラストが展示されている。
GENOCIDEと言う言葉は、学校で単語としては教わったが、正に実体を目の当たりにして、唖然とするほかはない。
それにしても、人が人を殺し、しかも同胞を大量に殺戮すると行為は、政治そのものである。
ナチスのホローコースト、アメリカの原子爆弾、翻って日本の南京大虐殺などに思いを馳せる。
「Killing Field」、genocide museum「TUOL SLENG」が観光地となっていることは、我々訪ねる者にとってあまりに悲惨でつらい。
現在の為政者の対ポル・ポト政権に対する見せしめか、と勘ぐってしまう。ということは、未だにその勢力と影が有るのだろうか。
しかし、日本の広島の原爆ドームが残され、しかも世界遺産に登録申請し登録されたことを思えば、表現の差こそあれ、
アメリカの行為に対する底知れぬ恨みの底流であろうか。
あるいは、純粋無垢に過去を忘れて平和を願う「原爆許すまじ」の願いか。この文を書いているときに長崎市長 伊藤一長氏が凶弾で死亡した。
彼は、市長でありながら、正面から原爆製造の国への抗議を行っていたと追悼報道は報じている。
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| Killinng Field は今は緑豊かにひっそりと花が咲いている | MASSGRAVE OF 166 VICTIMS WITHOUT HEADS と書かれてある |
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| カンボジヤにも桜が咲く | プロジェクトXで放映された日本橋の橋のたもとにある看板 |
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| 日本橋を渡っているバイク群 しかしベトナムほど多くはない | 中央市場、ホーチミンのベンタイン市場に相当 何でも売っている大衆市場 |
撮影:中澤 亨